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秀吉に仕えた2武将ゆかりの地〜甚目寺観音へ!

2011年2月 戦国武将たちのゆかりの地探訪サイクリング(福島正則、蜂須賀小六編/愛知県あま市へ)!

今冬は大変だ。ここ名古屋でも何度雪がつもったことか・・・?ホント今年は大雪の当たり年で、もちろん寒〜い。とは言え、じーっとしていると身体がなまっていけない。寒さこらえて出発だ。梅には少々早いし・・・っということで、名古屋の西に位置する昨年うまれたあま市へ向かうことに。耳慣れない市だろうが、実は歴史上の豪傑を輩出したエリアでもあるのだ。あま市生まれと言えば、賤ヶ岳の七本槍として知られる豪傑・福島正則、そして秀吉の墨俣一夜城の協力で知られる蜂須賀小六の故郷なのだ。

晴天にも関わらず予想通り寒い。伊吹おろしが顔をたたきつけるようだ。強〜い向かい風の中、七宝駅の北側に正則小学校を発見。名古屋市中村区に豊臣小学校があるように、どうもこの小学校も地元の英雄の名を冠しているような気がする。予想通り正則小学校の先に「福島正則公生誕地碑」を発見。おぉ〜ここで豪傑正則公は誕生したのかぁ〜?正則の母が秀吉の叔母だったことから幼少より秀吉に仕えていたとのことだが、なるほど秀吉以上に田舎育ちっ感じだ。生誕地の碑の奥がその屋敷跡だ。なんてことない水田だが、英雄を輩出したというだけで何となく尊く感じてくるから不思議だ。

眼の前には福島正則に菩提寺の菊泉院がある。のちにお隣清洲城、そして広島城の城主と大大名へと成り上がっていく正則公との関係は深く、正則公の位牌や護持仏(木造毘沙門天立像)が奉納されているのだそうだ。正則は武断派として、乱暴、酒乱等々悪い豪快なイメージばかりが強いが、実際にはすごく家臣達に好かれ、行政面においても優れたものを持っていたようです。個性満々の戦国武将の中でも、際立つ存在の福島正則のゆかりの地を初めて訪れてちょっと満足!では、もっと西を目指す。

途中何やら訳ありの松発見!説明を読んでみると、この松には 「是は美濃華厳寺の観音大霊地境内の松であったが、訳あってこのところに植え置くものである。この日本は観音有縁の国と言い、華厳寺は観音近国の大霊場三十三ヶ所結願の道場であるが、この地 (蜂須賀)は弘法大師開闢の霊地なる故、この松を移し植えおくものである。人々はこの松を観音の身木と思い信じ怠ることなかれ。」と書かれた札が掛けられていたことから、誰言うことなく「札掛(ふだかけ)の松」と称されるようになったとのこと・・・う〜ん、もっと何か由来が有ると思ったが少々期待はずれ?そのすぐ先に、2つ目のお目当ての蓮華寺に到着。

次に登場する戦国武将は、豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と名乗っていた頃の参謀として、あの有名な墨俣一夜城で秀吉とともに歴史の表舞台へ登場してきた蜂須賀小六だ。川並衆や土豪、野盗などと呼ばれていたので、てっきり野武士か何かかと思っていたのだが、予想に反して立派な蜂須賀城にて誕生していたのだ。蓮華寺の前には、「蜂須賀城址碑」と巨大な「蜂須賀小六正勝公碑」と刻まれている石碑がならんでいる。

蓮華寺は弘仁9年(818年)に、弘法大師によって創建され、この地には毒蜂が多く、弘法大師の法力で蜂を封じて塚を築き毒蜂被害をおさめたことから、地名も蜂須賀と改められたのだそうだ。そして、その裏には「蜂須賀小六屋敷址の碑」があります。実際の生誕地は蜂須賀城の中なのか?この屋敷跡なのか?はたまた城の中にこの屋敷があったのか?説明がないので良くわかりませんが、とりあえずあの小六はこのへん?で産まれたのだ。この美和町というお世辞にも都会とは言えない地から、各々安芸、阿波の大名と大出世していったのだから大したものだ。でも、盗賊出だと思っていた小六が城持ちの子だったとは・・・好きな武将だっただけに少しショックです。うぅ〜太閤記はフィクションだ!
このあとは、津島方面へ行こうかと思っていたが、今日はホント寒い。何せ最高気温は5〜6℃くらい。更に伊吹おろしがガンガン吹き付けどんなに走っても暖まらないどころか、指先が痛くなってきた。こりゃちょっときついという事で、予定変更で戻ることに。いやぁ〜寒〜い。名鉄津島線に沿って甚目寺に立ち寄ることに。
甚目寺駅前には、尾張四観音の1つ「甚目寺観音」がある。東海三十六不動尊霊場第五番札所。尾張三十三観音第十六番札所でもある古刹だ。参拝する前に何とも気になるものが・・・十王堂だ。初めは物置か?なんて思っていたのだが、「極楽往生の神様 閻魔大王」という文字が眼に入ってしまったので、何となく挽き込まれる。入ってみるとドキッとさせられる。おいおい、えらく強面、いやっ怖過ぎの木像がこちらを睨みつけている。正面がご存じ死後の世界の王様の閻魔大王、その横が金色に輝く阿弥陀如来。そして左右あわせて十人の仏様が、亡くなった人の生前の罪業を裁断する十人の裁判官で、三途の川で奪衣婆(左の1番手前)に衣服をはがされ天国行きか、地獄行きか、閻魔大王により天秤にかけられるのだ。生前の名声や地位は、今生のものであり、すべてをはぎとられその人の丸裸の人間性を裁かれる事を表しているのだそうで、確かに正面に黒い天秤が置かれてる。往生安楽のご利益があるそうだが、何とも不気味・・・。
何か異様な雰囲気の十王堂を退散すると、朱色が美しい本堂へ。伝承によれば、推古天皇5年(597年)、伊勢国の漁師が漁をしていたところ、当時海であったこの地付近で観音様が網にかかり、その観音像を近くの砂浜にお堂をたてお祀りしたのが最初だとか。この観音像は、敏達天皇14年(585年)に、物部守屋、中臣勝海の手によって海に投げられた3体の仏像のうちの1体(聖観音)といわれていて、残りの2体のうち、阿弥陀如来は善光寺、勢至菩薩は安楽寺(太宰府天満宮)にあるといわれている。ちなみに本尊の聖観音は秘仏のため50年に1回の開帳の時しか見る事はできないそうです。
高さ25mの三重塔や仁王門とも言われる南大門は国の重要指定文化財。流石に千数百年以上の古刹なだけに尊厳がある。この際なので、いつか名古屋四観音の荒子、竜泉寺、笠寺も走ってみようかな?あれっ、尾張四観音に日本三大観音の大須観音が入っていないのって何故?(ちなみに残り2つは浅草と津ね!)このへんのランク付けって素人には良くわからないですねぇ〜?ここでお腹が減ったので何か食べるところは?おいおい、甚目寺観音のまわり何もないぞ?ホント何もない。少し走ってもみても見事にない。おいおい、尾張4観音なのに、観光&参拝ビジネス無視?こりゃ正直驚いた。そりゃ、大きく期待していた訳ではないけど、何もないとまでは思わなかったので・・・。仕方ない途中のコンビニでおにぎり買って我慢することに。何か急に寒く寂しくなってきた。急いで帰ろう・・・。とりあえず、かなり目立たないあま市の2大英傑のゆかりの地を探訪できて、地味だけど歴史好きの自分にとってはすごく楽しいちゃりんこタイムになりました。

旧美和町サイト(歴史) http://www.city.ama.aichi.jp/miwa/rekishi/rekishi.html
名古屋観光サイト(甚目寺観音) http://nk.xtone.jp/archives/jimokujikannon.html

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本日のサイクリング 約20km



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